2014年3月31日月曜日

撮影室は暗かった


 新人原画のころ、アニメーションのフィルム撮影台と、取っ組み合い(←主観)をしたことがあり、いまとなってはおもしろい経験だったので書いてみる。

 フィルム撮影時代の、アニメーション用マルチプレーンカメラとはこのようなものです。
 だいたいの大きさをわかってもらえるだろうか。絶対に人力で移動できるような代物ではありません。


         (※参考資料 練馬区 保存 文化財  1959(昭和34)年~1997年ごろ
           まで東映アニメーション「旧東映動画」で使われたアニメーション
           専用のマルチプレーン撮影台)


 このような撮影台が使われていたころの撮影とはフィルム撮影なので、撮影室は仕事中、基本的に真っ暗だった。撮影台の上に置かれた画面だけに強いライトが当てられている。余計な光源があると、フィルムが計算外の露光をしてしまう。

 撮影室に窓はいらない。わたしが社員アニメーターとして在席した東京ムービー(現トムス)の撮影室は半地下にあった。撮影台が2階ぶち抜きの高さを必要とするため、逆の発想で地下室を作ったのだと思われる。

 また撮影室への扉は、やはり光を通してはならない。作画や背景、仕上げなどが窓のある部屋で、通常入り口も開け放し状態だったことに比べると、撮影部は仕事場の構造的閉鎖性からなんとなく社内でも敷居が高く、他部署の社員が昼休みにおしゃべりに行くようなこともなかった。
 撮影室は暗かったからだと思う。

 撮影に関しては、デジタル撮影になった今現在、アニメーターのカメラワーク知識はあまりに乏しい。とはいえ、フィルム撮影当時から、正しい撮影知識を持たないアニメーターのほうが、きちんと基本を学んだアニメーターよりはるかに多かった。

 ぶっちゃけ撮影というのは技術的にも人種的にも、アニメーターにはとっつきにくかったのですね。
 アニメーターという職種にも、絵描きとはいえ、産業における一工程を担う技術者としての要素が強くある。しかし撮影職種はそれよりもさらに工学的専門技術者寄り、すなわちエンジニアとしての要素が強いように、アニメーターからは感じられたと思われる。
 わたしが東京ムービー作画部に所属していた当時、社内のアニメーターが撮影部に出入りすることは、わたしを除いてまったくなかった。

 それは他の制作会社でも同様だったと推測する。なぜなら東京ムービーにおいても他社においても、わたしが計算して作成した撮影指定や作画素材について、作監が、残念ながら間違った素材作成方法をリテイクしに、わざわざわたしの席まで来て教えてくれたり、他社の演出が、わたしの作成した最も効率のよい撮影素材を、作業ミスの出やすい素材に作り直すという無意味な作業をおこなっていたりしたからだ。

 間違いを教えてくれた作監は厚意からリテイクを持ってきてくれたことがわかっていたので、わたしは言われたとおり間違った撮影素材に描き直し、原画を再提出した。のちにこの作監は、撮影から指摘を受けたか、あるいは自ら撮影に確認にいったのかその辺は定かではないが「神村さんの素材が正しかった。僕が言ったことは間違っていた。ごめんね」と謝りに来てくださった。ミスは誰にでもあるので、これは作監として立派な態度だと思う。駆け出し原画に謝りに行くというのは、どの作監にでもできることではない。

 アニメーターにとっても得手不得手はあるため、圧倒的な画力と動きのセンスをお持ちであったこの作監の、苦手分野が撮影知識だったのかもしれないと素直に思えた。


 だがわたしは正しい撮影知識を持ちたかった。原画は後工程の人たちへも充分に配慮した作画をしなければならない。そのため、撮影台の構造や動かし方についての基礎知識を持っていなければ、自分が狙った画面のために、どのような素材を必要とするのか、動画と仕上げにどういった指示を出せば的確かつ合理的、つまり、みんなの幸せとなるのかわからない。

 だからわたしは正しい知識を得るために、ほぼ毎日撮影部に原画の下書きを持って通い続けた。撮影が忙しいときはただ黙って暗い撮影室で作業を見ていた。忙しくないときには撮影さんがわたしの作った素材を撮影台にのせ、実際に台を動かし、その素材がなぜ撮影不能なのかを教えてくれた。
 暇なときにはわたしにカメラをのぞかせて各種効果を見せてくれたり、台を動かしたりもさせてくれた。

 これが制作会社に所属することの最大の利点だとわたしは思う。撮影までの工程で、正しい知識を各工程のスタッフに直接教わるには制作会社に所属するしかない。

 撮影に通い始めた最初のころは、もちろん同じ社内の従業員であるから、わたしの質問に対して答えてはくれるけれども、あきらかに撮影さんは迷惑そうな顔をしていた。
 しかし同じビルの中にあるため、しょっちゅう通ってくる駆け出し原画のわたしを、撮影さんはいつからか、まともな撮影知識を持ち、撮影不能なセル素材を回してこない原画に育てようとし始めた節がある。
 聞かないことも講義してくれるようになり、時には「このようなカットにはどのような素材が必要か」と問題が出され、ダメな素材の例を教え込まれた。
  わたしのカットではないのに、撮影不能なカットがあると呼びつけられて見せられた。

  クロス引きを可能にするための方法まで教えてくれた。

「クロス引き」というカメラワークは、フィルム時代には不可能とされていたが、やろうと思えば実は当時の撮影台でもできるのです。ただし、撮影さんがいかに細心の注意を払っても不測のミスが出やすいため、劇場用ならまだしも、基本的にテレビ作品では使ってはならないカメラワークと言い渡されていましたね。

 そのためカメラワークを知らない原画さんが、テレビ作品で気楽に「クロス引き」の素材を作ると、「撮影不可」のリテイクとして原画に戻ってくるのが普通でした。

 その前に、クロス引きになるようなカットを、演出さんがコンテで描いてはいけないわけですけどね。


 撮影台の仕組みについては、非常にわかりやすい画像がこのサイトで見られます。
http://www.da-tools.com/junk/cn25/camStand.html


 と、まあ、そこまで熱心に撮影から教え込まれたおかげで、わたしは撮影台の構造やカメラワークについてかなりしっかりとした基本を身につけられた。その後フリーになって、この時の経験がありがたかった。

 だから、可能なら新人原画時代は制作会社に所属することをオススメしたい。絶対お得、安全有利、元本は保証しますよ。各工程の基礎知識がただで教われますからね。

 それなのに東京ムービーの作画部においても、撮影知識のない原画がほとんどであったのはなぜなのか。たしかに社内とはいえ撮影部は敷居が高い。しかし原画がそれでよいのか。それが撮影知識のないことの言い訳になりえるのか。

 わたしは新人原画の頃から、これら撮影知識のないアニメーターについては、いささか問題視しておるんでありますね。だって教わればすむことでしょう。

 とはいえ、当時多かった下請け作画プロダクションにいたアニメーターの方々には、なかなか制作会社や撮影会社で撮影台を見る機会はなかったでありましょうから、学びたくてもどうしてよいかわからないというハンデがありました。

 したがいまして彼らには、「あなた方の作画プロの社長はいったい何をしているのか。アニメーターにとって必須の撮影技術をあなた方に身につけさせてあげるのが、作画のチーフであり社長である者の責務ではないのか」
 と思いこそすれ、彼ら自身を不勉強だと言う気にはなれません。

 ただ社長の怠慢で、技術と知識を得られなかったことについて気の毒に思います。
 作画プロダクションの社長であれば、制作会社のプロデューサーにでも頼んで、実際の撮影台や撮影作業を所属アニメーターに見せてやるくらいのことは簡単にできます。社長にやる気がなかっただけなのであります。

 しかし社長にやる気がないならと、一原画が制作会社に頼んでも残念ながら、なかなかむずかしいことと思います。変に話がややこしくなったりして。

 ましてフィルム時代の東映動画(現東映アニメーション)撮影部のようにビルが独立しており、撮影の皆さん全員、東映ロゴのついた作業服を着ている、一見して、われわれは撮影技術者であるという誇りを持って作業しているのがヒシヒシと感じられる撮影部は、とても東映下請け作画会社のアニメーターが「ここはどうしたら?」と気軽に教わりに行ける雰囲気ではありませんでした。


 いまの撮影部は、PCがずらりと並ぶ、他工程と同様のオープンな環境で作業しています。昔のゲームプログラマーに近い雰囲気を感じます。アニメーターから見て撮影さんは、それほど遠い人種には見えなくなった。
 お互いの距離が少し近づいた分、フィルム時代より、はるかに敷居は低くなっていると思いますよ。

 撮影部の見学を積極的に受け入れ、レクチャーにも前向きな制作会社があります。社内に撮影部を持たないスタジオで育ったアニメーターは、ぜひ一度、といわず二度でも三度でも、撮影現場を見に行って来てください。おもしろいですから。

 いまの撮影はなんでもできると思われていますが、あながちそれは嘘ではない。原画のミスは仕上げでも直されていますが、最後にはすべて撮影さんによって直されていることがわかります。
 撮影があまりにもなんでもできるようになったため、撮影からリテイクが原画へ返ることはなくなりました。だから原画は早い時期に、自分の撮影指定ミスに気づくことがない。延々と同じ間違った撮影素材を作り続ける。

 撮影さんはいま、アニメーターが作った撮影指定や目盛を最初から信用していません。
 アニメーターの側にも、カメラワークは撮影が決めるんじゃないの? というおかしな考え方が増えている。動画時代に、目盛指定すらない follow PAN カットを見て育つのだから、そうなるのが当然といえば当然でしょう。

 アニメーターが単純に考えた横PANも、上手い撮影さんの手にかかると、動きのあるじつに楽しいカメラワークに仕上がります。そういった部分は大いに撮影さんの力を借りつつ、それでも画面の基本設計は原画が計算し、正しい素材指定ができるアニメーターが望ましいと思うが。
 いかがかな?



  

文化庁「若手アニメーター等育成事業」

 文化庁の「若手アニメーター等育成事業」では4年間「育成担当プロジェクトマネージャ」と「育成検討委員」を、全力で務めました。

 しかしこの業務は正直に言って相当厳しいものがあり、育成検討委員4年の任期切れと同時の2014年3月末日をもちまして、私だけは事務局を辞任させてもらいました。辞任の意思は1ヶ月前に理事の方にお伝えしました。
 もう充分なアニメーター育成計画書も作成し、道筋もつけたと考えましたので、あとは後任の方におまかせできると思われます。
 この事業に関わっている間は、まったく作画監督ができませんでした。とはいえ、アニメーター育成の方法論、アニメーター教育を取り巻く業界の状況等を知る上では、またとない有意義かつ貴重な機会でした。

・1999年から1年間務めたウォルト・ディズニー・アニメーション・ジャパン、アーティスト教育担当。
・同じく1999年から9年間行った神戸市主催アニメーション神戸での合宿型ワークショップ講師。
・2002年から非常勤講師として毎年夏に行った、京都精華大学での10日間におよぶアニメーション作品制作集中演習。
・2005年から続けているアニメーターWebの勉強会
・2005年から5年間行った、厚生労働省 技能五輪の競技委員。
・2006年から経産省の事業として動画協会が受託したアニメーター養成プロジェクトでの委員と講師としての3年間。
・同2006年にアニメーターWeb勉強会で行った「アニメーターに必要な知識・技術などに関するアンケート調査」の共同報告書作成。
神戸芸術工科大学教授として学生の教育に携わった8年間。
・2009年に出版した「アニメーションの基礎知識大百科」という、アニメーター向け用語集のために行った調査おそび執筆。

 また、これらの間に多くの大学、専門学校の特別講師や、各アニメーション制作会社でのアニメーター教育講座などに呼んでいただきました。
 どれもよい勉強になりました。それらで得た知見を総動員して当たった「文化庁 若手アニメーター等育成事業」でした。育成検討委員会皆様の理想を追求した育成方法論を実践してみた初めての機会でした。

   育成検討委員会、ヒアリングチームの皆様もお疲れ様でした。皆様に支えていただいて、なんとか責務を果たすことができました。
 最終日まで徹夜で報告書校正となりましたので、明日から、少し休暇をいただこうと思います。

2014年3月末日。 Kamimura Sachiko




2014年3月20日木曜日

みんな元気でね

 3月のオープンキャンパスが最後の神戸行きになりました。神戸芸術工科大学アニメコースの1回生から4回生までが1枚ずつ寄せ書きを作ってくれていました。(3回生と4回生は絵が上手いなと思ったり(^^))


 わたしはできのよい教師ではなかったけれど、本当に学生の幸せを一番に考えてきました。この色紙は宝物ですね。
 春休み中なのに、その日はゼミ生が全員学校へ来て、お花と色紙をお土産に持たせてくれ見送ってくれました。わざわざありがとうね。とても嬉しかったです。





2014年3月14日金曜日

リチャード・ウイリアムズ先生のお隣に越してきました


 なんと書店の棚で、リチャード・ウイリアムズ先生の不朽の名著「アニメーターズサバイバルキット」の隣にわたしの本「アニメーションの基礎知識大百科」が並んで置かれているではありませんか。

 じつはこの写真、大学の学生が撮ってきてくれたものです。
 やらせであります。
 学生がわたしを喜ばせようと、わざわざ本を隣に並べ替えて撮ってきたやらせ写真であります。
 それでも充分嬉しいです。夢がひとつ叶いました。ありがとう。