2014年8月24日日曜日

なぜフリーになったのか

神村は、なぜフリーになったのか

 元はといえば、わたしは東京ムービー(現トムス)の社員アニメーターとして原画を描いていた。最初からフリーだったわけではもちろんない。

 2年くらい社内で原画を描いて、そこで会社を辞めてフリーになった。
 それ以後は社員になったことはないから、わたしはアニメーターとしてのキャリアのほとんどすべてをフリーとして過ごしてきたことになる。

 先に、「フリーの条件」で、一人前になるまではフリーにはならないほうがよい、とわたしは書いているので、
「言っていることとやっていることが違うだろう!」
                            (ノ`ー´)ノ・・・~~┻━┻

 と、指摘されるかもしれない。しかし、外から見える形としては言動不一致のようだが、東京ムービーを辞めたことにはいくつかの正当な理由があり、それは先に述べた意見と相反するわけではないのだよ。(←エラソー)

 東京ムービーで原画を描いていた頃のわたしは、下記のようにかなり脳天気に仕事を楽しんでいた。



                         


 余談だが、このとき東京ムービー作画部には作監と原画しかいなかった。少し前に、会社が極力社内に現場を置かない方針を打ち出し、動画は海外出しでよい、社内に動画はいらないと決断したためだった。


 社内の作画は4名で月1本の原画を上げることがノルマだった。当時はそれくらいが普通。
 社員原画で給料制だから、会社の採算的には、作画部は確実に赤字だったのではなかろうか。社員だと厚生年金や社会保険料、賞与、残業代など、会社のコストはかなり多いですからね。

 一般の会社であれば、給料が上がれば仕事の負担も増えていく。しかし東京ムービー作画部のアニメーターたちに、そういう感覚はなかったようだ。一班4名の原画には、マンガに出てくる班のチーフ(社内作監)や、わたしのような駆け出し原画も含まれる。年功序列の給与規定なのでベテラン原画は当然給料が多い。わたしは1番下っ端だったので給料は1番少ない。
 けれど、1本のカット数を4名で均等に分けていた。チーフは他3名の原画を直したり教えたりしてくれるので、別に手当をつけてもよいくらい(ついていたのかもしれない)だが、ベテランの原画はどうなのか。駆け出しのわたしとおなじカット数ではおかしくないか。と、論理的には考えてよいはずだ。
  だが、誰も特に問題にはしていなかった。作画部の空気かもしれないし、会社の管理が甘かっただけかもしれない。

 わたしは作画部で1番安い給料ながら、毎回1番たいへんなシーンを担当し、1番多くのカット数を上げていた。とはいえ、駆け出しだったので「人より多くの量を上げれば、それだけ多くの経験を積むことが出来、その分確実に人より上手くなる」という、大塚康生さんの動画や若い原画への教えを信じて実践していたにすぎない。
 だからわたしも、カット数の均等割というシステムに文句はなかった。


 これも多少余談なのだが、わたしの給料は、じっさいにはわたしが思っているより少なかった。意味わからないでしょう。時代を象徴する事実なので、そしてこの事実を体験したアニメーターは、わたし以外には東映長編時代の女性アニメーターくらいしかいなかったであろうと思われるため、記録を兼ねて書いておく。

 当時の作画室で女性はわたしだけだった。ある日たまたま、作画室の物置でわたしは東京ムービーの社員規定を手に入れた。別に秘密文書ではないので、当初は各部に置いてあったものが忘れ去られていただけだと思う。

 社員規定を読み、わたしは初めて当時の社会が当然のごとく、女性を男性より劣る労働力と位置づけていることを知った。アニメーターという技術職でさえも!
 当時東京ムービーでは、男性の定年は60歳、なのに女性の定年は55歳。そしておなじ職種でも初任給から定期昇給まで、男性より女性のほうが低かった。
 今なら笑っちゃうよね。

 最初は出来高契約で東京ムービーへ入り、動画単価に男女差があろうはずもなく、それなのに社員になったとたん、女性だというだけでわたしは自分でも意識しないまま差別されていたんだと知った。
 作画室の誰よりも長時間働き、誰よりも多くのカット数を上げているわたしが、年功序列だけではなく、こんなところでまでも不条理としか思えない差別を受けていたなんて、わたしは何も知らなかったのよ。
 同一労働、同一賃金の原則から、この社員規定はいまでは違法。

 他に自分で知っていた給与差別もある。
 労働基準法(あ、思いっきり簡潔に書くので読み飛ばさないでっ^^)で1週間の労働時間は40時間が上限となっている。それ以外は残業だったり、夜22:00を超えた場合は深夜残業だったり、休日出勤だったりするのね。40時間以上の分は割増賃金になり(説明は省く)、東京ムービーの場合も一般的な割増率だった。
 つまり、給料が、時給1000円相当だと仮定するとね
・残業代は1時間1,250円
・深夜残業代は1時間1,500円

 になるわけ。東京ムービーのアニメーターが定時の18:00からほぼ毎日21:00くらいまで残業したら、給料に残業代が毎月10万円くらい上乗せされる。これは会社にとってはたまらないでしょう。定時のあいだに原画のノルマを上げてほしいと思うはず。
 けれど、なかなか定時内で終わらせることは全員むずかしかったようで、20:00くらいまでの残業は、みんなよくしていたね。1番面倒なシーンを1番たくさん上げていたわたしの場合、技量が追いついていないせいもあり、だいたい最後のひとりになるまで残業していることも多かった。

 ひとけがなくなると、ゴッキーが出張ってくるのが怖かった(笑)


 けれどわたしの残業代は、作画部で1番少なかった。圧倒的に少なかった。なぜなのか。
 基本給が低かったからではない。いまでは考えられないことだけれど、当時、女性の深夜労働は一部の職種(看護師さんなど)を除き禁止されていたんですよ。法律でね。

  (労働時間などに係る女性保護規定について)


 わたしはアニメーターだから、男性は総合職、女性は補助職というような考え方をしていなかった。女性は下手でいいなんていういいわけは、原画として通用しないものね。
 けれどある日、総務部長に呼び出されたわたしは、自分のタイムカードを見せられ、「女性に夜8時以降の残業をさせると違法なため、動労監督局から指導が入る。最悪の場合、社長が呼び出しを食うのでやめてほしい」と頼まれた。

 わたしはわかりましたと了解した。法令は遵守せねばならない。どうにもならないことだった。
「でも」と、わたしはお願いした。
「タイムカードは夜8時になるまでに押します。でも、夜中まで作画室で仕事をすることは見て見ぬふりをしてほしいです」
 総務部長はとても人柄のよい方だったから
「タイムカードを押してしまったら、そのあとの残業代はもらえないよ。それでかまわないの?」と、おっしゃった。
 わたしは大きくうなずいた。
「いいんです。わたしがいま欲しいのは、アニメーターとしての技術です。残業代は問題じゃないんです」
 カッコイイ! (←自画自賛)


 作画室の男性の中には、ほぼ毎日、定時になると姿を消し、近くの自宅でゆっくり夕食をとり、2時間くらいたってからまた作画室に現れ、ちょっと机に向かってからタイムカードを押して帰るというチャッカリ者もいましたのことよ。残業代稼ぎですね。
 みんな気づいていたけど、何も言わなかった。

 だけど、そういったことがいやになって会社を辞めたわけではないのよね。

 むしろ原画としては、班のチーフ(社内作監)や作監(社内総作監)に甘やかされ、好き放題させてもらえたおかげで、いまがあると感謝している。マンガに描いてあるとおりなんだけれど、チーフと作監は、わたしを一人前の原画に育てようとしてくれていた。なんてよい環境なんだ(^^)


 打ち合わせのあとのカット分けで、わたしはいつも自分が挑戦してみたいシーンを自分で勝手に決めていた。時にはチーフが「う!」とたじろぐ、駆け出し原画のわたしにはかなりむずかしいシーンもあった。それでもチーフは一度もまだ無理だとは言わなかった。
 描かせてみて、直してくれた。チーフからも作監からも原画リテイクはあったが、これまた一度も叱責されたことはない。直せばもっとよくなる的におだてて育てるリテイクだった。

「好きに描け」としか言われなかったような気がする。甘やかされとるよなー。

 毎回、描いたことのないシーンに挑戦させてもらえた。「挑戦」という言葉がすでに、わたしが一人前の原画ではなかったことを物語っているのだが。
 毎話数、次々初めて描くシーンを選んだのは、もちろん経験を積み、なんでも描けるアニメーターになりたかったこともあるのだが、心のどこかで、「ここに長くはいないだろう。だから好き放題させてもらえるうちに、出来るだけ多くの経験をしておこう」と、思っていたのも確かだった。
 駆け出し原画の分際で「なんちゅー言い分」と非難されれば、事実だから、甘んじて受ける。

 けれども、外にはそれほどまぶしい世界があったのだもの。

 おなじ作品を担当していたきら星のように輝く、友永さんや丹内さんといったアニメーターの存在に目を奪われずにはいられなかった。
 これが制作会社にいるアニメーターの強みだが、階下の制作部へ行けば、友永さんや丹内さんや、たくさんの上手いアニメーターの原画が見られた。放映後の原画をもらってきて描き方をなぞったり、動きを学んだりできた。

 フリーの演出さんに「ライディーン」のキャラクター設定を見せてもらい、別世界がここにあると思った。
 外には上手いアニメーターが、もっともっとたくさんいる。いつかその人たちといっしょに仕事ができたら。

 わたしも上手くなりたい! そう強く思ってしまったのが、フリーになった最大の要因だと思う。

 チーフと作監には本当によくしてもらったが、わたしはもっと上手くなるために、外に修行に出たほうがよいと思った。そして労働基準法に縛られず、好きなだけ働いてみたかった。

 だからフリーになった時は、目一杯働いたですよ。
 そうせざるを得ない事情もあったのだけれど、それはまた今度。

 一点だけフリーになって困ったことは、フリーになった時点で仕事が決まっていなかったこと(笑) 後先考えなかったということですね。
 皆さんは、こういうバカなまねをしちゃいけません。次の仕事が決まってから会社を辞めよう。
 これ、かなり重要なアドバイス!



 ちなみに、このGoogleブログ、Google Chromeで表示すると、こちらが予定したレイアウト通り表示されますが、Internet Explorerで見るとかなり表示が崩れています。
 Internet Explorerだと、かなり見苦しくなっている部分もある感じ。

1 件のコメント:

  1. 神村さま。はじめましてこんにちは。
    最近、ここのことを知る機会がありちょくちょく読ませて頂いています。

    最近の新人の方はほとんど動画はやらないそうですよ。
    会社によっては2原からスタートで、人がいないから原画をやらせてしまうというところもあるとか・・
    そういう新人はどう仕事を覚えるんでしょうねぇ(おそらく使えないものしか上がらないので、リテイクの嵐か巻き直しで本人に戻らない)

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